母と私の日記

今年81の母と、もうすぐ50の私は二人で暮らしています。

キョウさんのルーツ

キョウさんは

そこそこお嬢様だった。

 

キョウさんの父、わたしのおじいさんは

青森県十和田市で、

多分初めて百貨店を開いた家の、次男だ。

50年前の十和田市内で母が名乗れば

もうそれだけで正体が知れたという。

 

キョウさんが子供の頃よく百貨店に遊びに行ったそうだが

何階建てだったのか?

床が土間だったそうで

従業員が床をまっすぐならしていたのを覚えているそうだ。

 

つまり

鉄筋コンクリートのビルが建つ前の

百貨店ってこと。

 

え、

フローリングじゃなかったんだ。。

なんでだ?

 

不思議だけど証拠も詳しい人も知らないのでスルー。キョウさんの記憶違いかも知れないし。

 

今は

直系の嫁さんが

呉服屋さんをやっているらしい。

 

別の場所でね。

 

百貨店は鉄筋コンクリートのビルに立て替えてしばらく賑わっていたそうだが

結局閉めて

跡地は今バスターミナルになっている。

 

キョウさんは

そこの次男の家に育ったのだが

 

コンビニみたいな商店をしていたそうだ。

キョウさんがよく手伝って店に立っていたらしい。

ほかにも、

ベルトコンベアに洋食を乗せてテーブルまで運んだり

いろんな店をやってみては

キョウさんに手伝わせていたが

キョウさんのお姉さんが

文化服装学院に行って洋服の仕立てを学んできたので

実家はお姉さんの洋品屋になったそうだ。

店の裏にはミシンがたくさんある建物があった。

住み込みをたくさん雇って

オーダーの服を作っていたんですって。

 

学校出てきてそこまでするって

叔母はすごい人です。

 

弟妹も洋品屋になった。

キョウさんだけ、

会社員の嫁になった。

 

どうやら

祖父のワンマン経営に嫌気がさして

わたしは商売やりたくない!

みたいな発言をしたようで

親の決めた見合いを受けて、関東に来たのです。

 

本当は

祖父に一番鍛えられたのはキョウさんだったんじゃないかと思う。

キョウさんの商才は

もったいなかったのかも。

 

でも

趣味で作ったものを売ろうというと

ブレーキがかかるんだね。

 

職人ではないってことかな。

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